「やりたいことを思いっきりやるためには やりたくないことも思いっきりやんなきゃいけないんだ」
![ちはやふる (7) (BE LOVE KC) ちはやふる (7) (BE LOVE KC)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51aHbxRqGuL._SL160_.jpg)
- 作者: 末次由紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/12/11
- メディア: コミック
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多分もう10年以上前、東京新聞で林原めぐみがコラムを一時期連載していました。細部はまったくもってうろ覚えなのですが、そこで「声優になりたいのですが親に反対されていて進学しろと…」みたいなお手紙に対して、丁度この机君のような事を返していた記憶があります。大人はやりたい事を一つやる為に、それ以外の事をいくつもしている。「本当にやりたい事」だけをしている訳じゃない。その周辺のことを、どれだけ出来るか、やり切れるか、という所でその人の思いの強さがはかれるという面もある。欲しいものがあるから一生懸命バイトをする、みたいに。夢の為なら自分はこれだけの努力が出来る、頑張る事が出来るという事を学生生活で親に示したらどうだろう。
そんな感じの内容でした。だいぶ前だし、私の解釈も入り込んでるだろから、林原さんの文章とはもう全然違うかもしれないんだけど。ただこのコラム(というよりそれの自分なりの解釈)が、その後私をだいぶ生きやすくしてくれたのは一つの事実です。学生時代より、むしろ社会人になってからの方が思い出してるかもしれない。料理の下ごしらえみたいなもので、この雑事はやりたい事の為の根回しであり手順の一つである*1。表現の問題かもしれないけど、「仕事なんだからそれも我慢しろよ」と言われるより良い発想だと思うんですよね。勿論、上からの理不尽な事を諾々と我慢しろと言うわけではなく*2、そこの線引きは明確にしなくちゃいけない訳だけど。以前なら「ただの雑事」「嫌なこと」だったもののいくつかが、「本来の目的の為のステップ」に変わったのは気持ちのうえで大きかった。
あれ切り抜いておけば良かったなあ。何かの形にまとまったりはしていないんだろうか。