ただの現実である「コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜」(と、「シン・ゴジラ」)

私という人間は周囲の現実社会だけではなく愛好したフィクションや娯楽も含めて出来ていて、そうやって大人になった人が社会を作るわけですから、これはもう魔法少女やヒーローが日本社会を作り動かしてきたといっても過言でもなくない、ような気がする。

スポーツ漫画やアニメをきっかけに競技をはじめた人、そこからさらにプロになった人なんてのもすでにたくさんいて、そういう、「フィクションが与えた内面/精神面での影響」を可視化する形で戦後のある時期を語り直したもの。「もしあの事件のときにヒーローがいたら」ではなく、「あの時もこの時もヒーローは(それを見た視聴者を通して)いたのだ」というのがコンレボの世界。超人のいる神化とは、「よく似た違う世界」などではなく、具体的には見えない、しかし確かに存在するある要素を形にした、ただの現実であるように思われる。

超人たちへの愛と自負に満ちている。と同時に、フィクションが現実に影響ないとか言ってんじゃねーぞ責任あるぞ、という宣言に見えたりもするわけですが。


というようなことを考えながら楽しく見ていたのですが、どうして一期が終わったタイミングでもない半端な時期にこんな事を書いたかというと「シン・ゴジラ」の新しい予告を見たからです。

「現実にとってフィクションがどういう存在なのか」という話がコンレボなら、この新しいコピーと予告を見るに、「フィクションにとって現実とはどういう存在か」という話が「シン・ゴジラ」になるのかもしれないな、と。